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 放送授業を見ながらご飯を済ませる。試験用の本を用意するため、ライプニッツによる面積変換定理について熱弁する先生をさっと闇で覆う。空の鞄と貸出カードを持って外に出る。13:00までに帰って来れるか不安になりながら、自転車に跨った。

 

往路

 

1

 たとえば、ぽつねんとある遅桜、人のいない道、外装の古びたアパートに干されているデニムの作業着と青いTシャツ。こんなふうに、エモそうなイメージを羅列し、情景に浸ってもらおうなんてしゃらくさい文のことなんかを考えていた。あえて曖昧にすれば、どんなものだって「本当は良いものなんだ」って言える。本当は人のいない道のど真ん中で、アスファルトぶち破って遅桜がドカンと咲いてる面白い光景かもしれないし、古びたアパートだって、本当はめちゃめちゃ高級な家なんだけど、外装のレンガが少し欠けてるだけで“古びた”と言ってるのかもしれない。もしかしたら、デニムの作業着だって肉体労働者のじゃなくて、家主が5,000年に1度やる程度のDIYに酔ってカッコつけて干してるのかもしれない。だって、私だったらデニムの作業着なんて絶対に嫌だ。通気性が良い化繊にするもの。
 実際に見たものから、これだけのことを考えた。そう、実際に、ぽつねんとある遅桜は公園の真ん中にあったし、道には人がいなかった(その代わり、道の向こうには馬鹿でかいイオンモールがある)。古びたアパートのデニム作業着だってあった。だけど、どれもまばらに、ただ視界に入っただけだった。もしかして、曖昧なエモ文章も、そういうことなのかもしれない。感情をいくら言い尽くしたって取りこぼすんだから、エモなのも曖昧でいいにきまってるじゃないか。
 こんな想像よりもっと面白かった現実の光景は、排水機場の側の桜に立っていた、桜色のシャツをきたおばあちゃん。もし、あれに出くわしてすぐ「あれは桜の精霊だよ」と真剣に説得されれば、筋金入りの無神論者である私でもきっと信じてしまうだろう。

2 
 大きな河を渡るためには、橋に登らなくてはならない。目的地は図書館、中学生の頃から登り慣れた急な階段を自転車と共にのぼって、改めて春を実感する。息が上がってマスクを取ると、混濁した川水から立ち上る匂い。乾燥もずいぶんマシになって、ただでさえ匂いに敏感な私がさらに敏感になっている。
 江戸川を見下ろしながら橋を渡っていると、私が登ってきたのとは反対側の岸で工事が行われているのが見えた。ススキが一直線に刈り取られ、岸から川まで、まるでエジプトから脱出した誰かさんが通ったかのようになっている。じゃあ、私は入エジプト記でも書くか。

3

 橋を渡り切って、大きな下り坂を下る。かつてはロードバイクでさらに漕いでスピードをつけて降りるのが大好きだったこの坂を、軽快自転車で下ったところで何も面白くない。
 外環工事で様変わりした、センスがなくてダサい碌でもなく風情のない交差点を越えて、よく親しんだボロボロの階段を降りる。新旧キメラのこの街で、自分もまた、過去と今の自分からなる新旧キメラであることを反省した。
 (本当は、ここにはさらに下世話な話を書きたかったんだけど、諦めた。下世話すぎる。)

 図書館についた、少なくとも、昔住んでた家よりはずっと安心する。

 

復路

 

4

 ああ、重い。昔から、自ら選んで背負っては責められ、一杯一杯になった。本当は背負い投げが得意なんだけど、投げるのが可哀想でずっと背負って立ちっぱなしだった。考えることをそのまま書いて、うまく繋げようだなんて無茶だったかな。まぁ、投げてもちゃんと襟を引くしな。それが道だし。
 そして道を自転車で進み出す。そういえば、帽子を取るときに思った。亡くなった祖母と私の、貴重なツーショット。祖母は向こうを向いていて、私は祖母につまづいて転んだ形にひっくり返って後頭部と背面しか見えない。そこに映る私のつむじは奇妙な縦長で、大きいものだった。いま、私が禿げてきてるかも悩んでいるつむじの奇妙さは、子供の頃から変わっていなかった。それに私は安心した。奇妙なのは、今にはじまったことじゃなかったのだ。そういえば、私の頭の中や性格がなんだか奇妙なのも、昔からじゃなかったか。

5
 心臓専門病院に、帯状疱疹の薬をくれと車の中から叫ぶ患者を尻目に、そういえばこの辺はNくんの家があったなと脳内に戻る。犬が好きで、成績が悪くて、素行も悪い。でも、なぜかすごく優しくて、口が臭い彼のことを想った。県内でも有数の底辺高校を中退して、某運送会社に勤めていたものの、それをやめたきり消息がわからない。そんな彼は車になりたがっていた。今頃、元気に走っているだろうか。

6

 復路はとにかくつまらないようで、実は面白い。同じ道も、反対からみるとまた別の道として見える。山ならそれは特に顕著だ。時間の流れ(があるとするなら)常に前だけど、私は往復をしている。でも、地理的に往復でも、時間は常に進行している。言うなれば、常に往路だ。そうか、そういうことだったのか。
7

 亡くなった祖母ではなく叔母のことを思い出した。ネズミだらけの家に住んでいた頃、叔母が勉強机を買ってくれた。勉強は嫌いではないが、学校の勉強が嫌いだったため、叔母の勉強机の上にはドジョウとか、フリーメイソンの本とか、宇宙物理の本が積み上がっていた。ときに、ボボボーボ・ボーボボケロロ軍曹
 勉強机は私が小4になると、PCデスクになった。今振り返れば、PCデスクを別に買っておけば、今よりお勉強もできていたかもしれない。狭い部屋の勉強机にデスクトップPCが置かれると、それはもう勉強のできるスペースを失うほかない。でも、早いうちからPCに触れ、家の中では誰も知らないインターネットの物理的な回線の繋ぎ方から何から、全部自分でやったことは信じられないほどの利益を生んだ。
 そんな勉強机に叔母が再会したのは、骨になって綺麗な箱に入ってからだった。これを書いている今、私は“今のデスク”に向かっている。でも、私がどんなデスクに向かっていたって、この習慣の原点はおばちゃんの勉強机なんだ。ありがとう。
8

 信じられないほど暑い。橋に差し掛かると、思わずかわいいドラえもんのマークがついた上着を脱いで、白シャツにマスク、黒いズボンという高校生めいた姿になった。かごに、無料知識屋さんから借りてきた本がどっさり詰まったカバン。
 じっとりした肌着を肌から時々剥がしながら、風を感じるために全速力で漕いだ。思ったよりスピードが出る。並走する車が、ちょうど私が徒歩の時に追い越す自転車くらいだ。私は歩くのが早いから、徒歩は平均して6〜8km/hで、自転車はその倍くらいに感じているから、だいたい12km/h。つまり、私と自転車の速度は1:2だ。そんで、この軽快自転車では大体20〜25km/hくらいは出る(なんでわかるかって?私はスピードメータが大好きだからだ!子供の頃、スピードメータと自分の漕ぐ速度の感覚を一致させることに精力を尽くした。そして何度も事故を起こした)。だったら、車は大体40~50km/hくらいか。妥当だ!

9

 最高の気分で橋を降りる。無自覚に出エジプトを済ませた私は、人がいないのを確認してマスクをずらす。
 むせかえるような土と草の匂い、紛れもなく、それは今と昔とで変わらない江戸川だ。思わず、好きな曲がどこからともなく聞こえてくる気がした。

 “In terra pax  地球に愛を 僕らに夢を さあ野辺に出よう ならんで腹這いになり もえでた ばかりの 草にむせて

  大地に胸をあてるのだ とくとくと 見えない 地の底から響く 不思議なリズム

 地球の鼓動だ この大地のリズムに合わせ 人は生きる 鳥も木も草も“

        ー『IN TERRA PAX - 地に平和を』(作曲:荻窪和明 作詞:鶴見正夫 出版:音楽之友社、1990)

 生への執着はなかったはずだが、ニーチェに心突き動かされ、IN TERRA PAXを歌ったこの時代の私は、確かに力への意思、超人への意思に溢れていた。今はよりクレバーな形で、それに近づこうとしている。
 川から離れれば離れるほど、悲しい気持ちになっていった。こんなに美しい歌を歌っておきながら、同窓生はまるで地球のことなど考えず、平気でトゥンべリ批判どころか環境問題を的外れに論難しようとしたりする。あるいは、朝鮮人を差別するし、女性を蔑視する。

 


10
 家について、全てどうでも良くなった。疲れた。思いついたことを書く気力もない。そんな気がしていた。今日からまた忙しくなるな。明日は翻訳を進めておかないと、後、次のレポートも作成していかないと。あ、会社からメール来てないかな。来てないな。
 せっかくだから、最悪飽きてもいいし、書けるとこまで書いてみちゃおうか。