懐かしさ

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 天気の悪い寒空の日曜日。私は起き抜けに着替えをして、コーヒーを飲むことも食事をすることもせず家から飛び出した。私の大好きな河に向かって。

 よく知っているはずの道も、数日家を出ない間にガラッと変わっていることがある。今日もそうだった。いつもと違うルートで歩いていると、新しく敷かれた側溝のそばに落ちる水糸や、「週休二日制を採用しています」という看板の向こうで日曜日なのに土留め工事を行う作業員の姿が見えた。私も現場仕事をしたことがあるから、休日出勤はともかくも水糸だけは蹴り丸めて道の端に追いやっておいた。  危険なのを知っているから。

 河が近づくと、枯れ草の香りにむせそうになる。懐かしい香り、いつの時代もきっと、枯れ草は同じ香りなんだろう。どこにも帰りたくないな。でもどこかに帰りたいな。都会にいても、必ず自然のある場所に向かってしまう。私は山が好きだ。なんなら、帰りたい場所に1番近いものは山かな、と思っているくらいに。

 一時期、東京も千葉も離れて静岡に暮らしていたことについてぼんやりと考える。はじめは良かった。その土地に住む女性と別れてからは、減っていく貯金、過ぎていく時間、基本的には苦しくて辛い時間でしか無かった。しかし、貯金を減らしながら全てを諦めて、日中から入る温泉は気持ちが良かった。静岡は温泉が安価で、どこにでもある。さらに、3方に山が見えるし、1方には海がある。海の気分だったら30分ほど歩けば駿河湾に着くし、山の気分だったら15分で山に着く*1。都会気分を味わいたければ徒歩30分で静岡駅だ。丸善ジュンク堂もあれば、さらに駅向こうに古本屋、駿府城公園。駿府城公園には全て諦めてからよく行った。ベンチで、R.Dedekind『数とはなにかそして何であるべきか』を読んでいた。正直、そのタイミングで大学に合格していなかったら自殺していたと思う。でもしなかった。あぁ。でも疲れたなあ。頑張るの。

 河に着いて、冷たいコンクリートに腰を下ろす。今日は水位が高いなあ。枯れ草の匂いはいつの間にかよく分からなくなった。そう、どれだけ懐かしく思っていたものも、実際にそこへ身を置くと懐かしさはどこかへ隠れてしまう。懐かしく思うということは、長らく不在だった何かを思い出すということなんだろう。それでは、枯れ草の匂いが呼び起こした色々な記憶や感情は、私にとって何の、そしてどんな不在だったんだろう。

*1:ただし、高さにこだわらないとする。高い山に行きたければ30分だ。