あきらくん

何の気なしに、ココアにマシュマロを浮かべて煮込もうと思い立つ。

冷蔵庫からパックに残り少ない牛乳を出して、鍋に注いで火をかける。

しばらく待つと煮えてきた。用意していた森永のミルクココアの粉を鍋の中に撒く。

白い牛乳もいよいよ小豆色になったので、マシュマロを4つ、贅沢に浮かべた。

「ココアにでかいマシュマロ入れてみた」

高校を卒業して数年で事故死した友人が、亡くなるずっと前にしていたSNSのこの投稿も、コロリと頭に浮かんだ。

あきらくんと私が通っていたのは工業高校で、偏差値に囚われない生き方をする人たちばかり。

私はその中でも珍しく勉強が好きでよく出来た。おかげで、何の価値もない一番の成績を誇っていた。無意味な首席である。

そんな、良くも悪くも目立つ首席に勉強を教えてもらおうと群がる輩は多い。

なぜなら、成績が良ければより良い就職ができると、彼らは信じているから。

本当は、どのように就職しても、工業高校卒として、あらゆる工場の管理者や先輩の中にある、不勉強な人間像、愛嬌のある無能な人間像、フレッシュで活き活きした若者像、のいずれかの像に当てはまる努力をしなくてはならない。地元にいる友達の多くが大学生として過ごす傍、大学という素晴らしい場所を知らないまま、ただ工場・会社の大卒様、たびたび無能な大卒様に媚び諂わなくてはならない。転職を2回以上しようものなら、どんどん道が狭まるどころか、そのうち実存する人ですらなくなる。

あきらくんは、そんな彼らの中でも唯一、テスト前以外での“特別講義”を要請してきた。

教えるための実例を考えたり、式を導出するための筋道を考えたりすることを通じて自身の知識が磨かれることから、いつも快く引き受けた。

そんな関係が始まってから1年、残念ながら、彼は先にあげた何の像にも当てはまらない人間だったからか、満足いく就職ができなかった。

周りの人間は、やれ造船所がどうだとか、プラントがどうだとか、ガチャガチャの商品がどうだとか、警察学校がどうだとか。

その頃は私も、受かっていた大学への入学を経済的な理由で辞退し、学校に行かなくなっていた。首席が欠席、最前列が空席である。

卒業後、あきらくんは就職した会社をすぐに辞めてしまい、アルバイト先の飲食店に社員として転職した。

私は、学校の斡旋を受けずに自分で仕事を探し、職を転々としながら細々と進学の準備をしていた。

そしてその日は来た、これは今から4年前のこと。

あきらくんが事故にあったことは、開設当時から険悪なクラスラインで知った。

あきらくんから金をよく借りていたやつが報せた訃報、クラスメイトが焼香や香典のことを相談し始める。

最初は私も線香をあげに行くつもりだったが、みんなで決めた香典が少ないと曰う奴のせいで、その気がなくなった。

だから彼の墓も遺影も位牌も見ていない。

マグカップの中も、いつしか空っぽだった。